こんばんは。(くもり)レモンパイです。今日は、メダカの室外飼育環境にある水槽棚を丸ごと日除け出来るようにする為、ダイソーにて500円で買ったウインドオーニング(window awning)を設置しました。すだれに比べると高コストだけどすだれのようにボロボロ壊れないので、なかなか良い商品だと思います。(^^) 梅雨明け間近ということで、これからの時期は直射日光対策には予断を許せません。
今回は、1ヶ月ぶりの「映画を観た感想記事」の投稿になります。私は現在WOWOWに加入しているので、WOWOWで放送される映画を番組表でよくチェックしていて、数日前に(楽しみにしていた)2019年公開の「ジョーカー」を録画して観ました。バットマンシリーズのあの「ジョーカー」です。その感想などをお話します。
以下、ネタバレ注意です!!
ざっくりなあらすじ
直接的な病名は出てきませんでしたが、コメディアンになる夢を持つ主人公アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は情動調節障害を抱えています。自分の意思とは裏腹に、突発的に笑い出してしまう病気。そんな彼が、社会から見放されていき絶望を繰り返し、殺人事件を起こしていくストーリー。
・・・でも、アーサー本人の想像(妄想)を描いたような作品でもあって、どこからどこまでが想像でどこが現実なのかが分かりにくくなっています。
感想について
タイトルにありますが、今回は「ジョーカー」を計3回観てみました。1&2回目は普通に観て、3回目は1段階の早送りで観ました。何で3回かというと、上記にあるように現実と妄想の境など分かりにくい部分が何点かあって、それを解消したかったからです。でも、 ※1 3回観てもよく分からない部分は分からない...舞台はアメリカ社会(ゴッサムシティ)ということもあり、日本文化との違いから分かりにくかったのかもしれません。養子縁組の制度とか。
3回観終わった現在の私の解釈としては、ラストのカウンセリングシーン以外は全てアーサーの想像の物語だと考えています。その前提でお話すると、アーサーは想像の中で想像をしていて、楽しい自分や幸せな自分を思い描くものの、ほとんど絶望してしまいます。自分が絶望することまでも、細かくちゃんと思い描いています。何をやっても、自分は煙たがら居場所は見つからないんだという想像。
例えば、アーサーが好きな番組の ※2「マレー・フランクリン・ショー」をテレビの前で観ている中、自分が観客席にいること、そして出演することを想像します。司会者のマレーに称賛され、観客席の他の人にも拍手されて会場は盛り上がり、最後は憧れのマレーにハグをされ「君が息子だったら何でも投げ打つよ」と言われます。物凄く幸せな想像であり、理想。
でも、ある日「マレー・フランクリン・ショー」にて、 ※3 コメディ・クラブで録画されていた、コメディアンとしてマイクの前に立ったアーサーの映像が使用されます。アーサーは一瞬喜びますが、憧れのマレーに映像内の自分をバカにされて怒りを覚えます。不幸な想像であり、現実。
他にも、アーサーは同じアパートに住むシングルマザーについて、彼女とデートをしたり自分のジョークや考えを理解してもらったり、辛い時に寄り添ってくれるといった幸せな想像をします。でも、後に彼女の部屋に入った際に「確かアーサーさんですよね?」という反応をされ怯えさせてしまい、(想像の中の世界ではありますが)実際は彼女とは何ら親密な関係でもない赤の他人同士で、自分にはパートナーも理解者もいない孤独な人間なのだと絶望する想像をします。
印象的な描写を挙げるとキリがなくて、アーサーの「小さな希望や幸せ一つ一つにすがっては、誰かの悪意や厳しい現実に打ちのめされてしまうことの繰り返し」の想像が作品ではメインに描かれているんです。そんな中、不運にも自身の笑いの発作のせいで証券マン3人にリンチされ、咄嗟に持っていた銃で相手を撃ってしまうことから、アーサーがいわゆる “ 悪役ジョーカー ” へと堕ちていくことになります。
ストーリーに分かりにくい点は少しあったものの、私にはアーサーが変人だとは全く思えないんですよね。急にイカれてジョーカーになるわけでもないし、優しかった元同僚のゲイリーには手を掛けませんでした。ゴッサムシティに溢れるゴミ袋のように、存在価値のないように思われた孤独な男性が、他人の悪意によりぞんざいに扱われた人間が、復讐に目覚め心から笑えるようになる物語。
今回の「ジョーカー」を観た1回目の時、情動調節障害という概念を知らなかったものの、アーサーの “ 笑いの発作 ” と私の “ 吃音 ” って結構似てるなと思っていました。感情が大きく高ぶる時に、症状が出たり酷くなってしまう点や、発作が出る時はどうしようもない点が共感出来ました。
人類の全体からすれば、情動調節障害を持っていることは稀有なことなのかもしれませんが、 “ 笑いの発作 ” の無い多くの視聴者は、(想像の中の)アーサーに共感出来るはずだと思います。アーサーのせいでゴッサムシティがおかしくなったのではなく、ゴッサムシティという世界がアーサーのような人達を生み出している事実は、この現実世界でも言えることだと思います。
その他の感想としては、ホアキン・フェニックスの役作りと演技力が素晴らしかったです。貧困な境遇のアーサーを表現する為の、あのガリガリボディを最初見た時はゾクッとしました。アーサーの “ 笑い ” について、作り笑いや虚しさ笑い、絶望笑いなど様々な種類の笑いを、演技でちゃんと別々の笑いとして表現されていて凄いなと。映画の最後の方、マレー・フランクリンに復讐を果たした後の涙を浮かべながらのこみ上げてくる喜びの笑いが、とても美しかった...。
ここ数日の間に3度も観たので、あと数年は観なくていいかなと思いますが、映画として面白かったのでまだご覧になっていない方にはオススメです!!(*^^*)
本日の写真
写真は、紅帝メダカ F1 の中で背曲がりの酷い個体になります。昨日の記事に載せましたが、私には煮干し君という背曲がりが酷いけど大切にしているメダカが1匹いて、その影響もあって背曲がりの極端に酷い個体は敢えて大切にするようにしているのです。(^^)
2枚目は、1枚目の4匹の中で一番大きい個体です。私の抱える他の系統では、こんなに酷い背曲がりの個体はひと夏に何匹も出現しないので、私の抱える紅帝が遺伝的にそういう個体の出現しやすい系統なのだと思われます。
本日はここまで。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!!