明けましておめでとうございます!!レモンパイです。(くもり) 毎日更新を止めてから初めての新年なので、例年とは異なる “ ブログ運営初め ” になっています。まだ今後の運営方針はふらつくと思いますが、これまで通り一つ一つの記事には適度に拘り適度に手を抜いて好きなように作っていこうと思います。(笑)
さて今回は、私が昨年末の2020年12月25~28日の期間に「GoToラベルキャンペーン」を利用して行っていた四国旅行についてお話することにしました!!前回の中部地方行脚とは違ってメダカやその他生き物との接点はないけれど、旅行ネタはブロガーらしいのでブロガーとして書かないわけにはいきませんでした。(^^*)
GoToトラベルでの四国史跡旅行について
今回、四国へ旅行することになったのは、城や城址(=元々城だった所)、古墳といった史跡巡りが好きな父がGoToトラベルを利用して神奈川県から車で行くと決めたこと。私は基本的に史跡巡りには興味がなかったので「ふ~ん...あぁそうですか。」といったスタンスだったものの、父の年齢や運転の負担を考えると一人で行かせるのは家族として心許ないということで、私が運転の交代要員として付き添うことになったのです。
旅行1日目 ~車中泊~
まず、旅行1日目は12月25日ということでしたが、クリスマスに予定があるとかないとかそういうことが年々どうでもよくなってきました。安定的に私は今年も予定がなかったので出発日に問題はなかったです。(^^) 12月25日は夕飯を食べた後の出発で、最初に私が運転してその後2~3時間を目安に父と運転を交互に代わり、神奈川県から四国を目指していきました。
たしか滋賀県甲賀市にある土山サービスエリアに着いたのが深夜2時過ぎで、そこで車中泊をすることになりました。車内の後部座席を倒したスペースで、成人男性親子が縦並びに。私は常時耳鳴りがあって静かな車内では普通に眠れなくて、かといって車内で音楽をかけると逆に父が眠れなくなるので、iPodに繋いだイヤホンから曲を聴いていました。・・・結局全然眠れなかったです。(汗)
旅行2日目 ~淡路島を経て徳島へ~
2日目は12月26日。土山サービスエリアで2時間仮眠しての出発です。最初に辿り着いた史跡が、兵庫県の古墳。早朝だったので公園内へ入ることが出来ず、父は柵の外から写真を撮っただけになりました。この旅行期間中では、父が「目的地の外観を撮ってもう終わり」というケースが多くて、私自身は付近に車で待機していただけのことが多々ありました。今回見た古墳が何という名前の古墳だったのかが分かりません。(笑) 父に聞けばもちろん分かるけど、そこまでの興味や意欲はないです。
兵庫ではその古墳1つだけを見て、明石海峡大橋(パールブリッジ)を通って淡路島へやってきました。上の1枚目の写真は、明石海峡大橋を渡りきった後に現れる淡路サービスエリアで撮った午前8時前の風景です。ここでは「淡路玉葱カレーパン」と「淡路牛乳メロンパン」を買いました。前者は想像通りの味で、後者のメロンパンはミルキーな風味が強くて美味しかったです。淡路島でも史跡はいくつか見たものの、私は車の中で寝てました。興味が薄いから車に居たというのもありますが、この日は前日の車中泊による寝不足もあって飛蚊症が酷かったので。(≻≺)
淡路島を過ぎて徳島県に着いて、この日撮った2枚目が阿南市にある西方山(西方城)からの景色になります。麓の駐車場に車を停めてかなり登山をしました。父はお城でいうと、天守など立派な建物のある平城(←もう行き尽くしている)ではなく、西方城のように廃城にされて登山や景観を楽しむだけのような山城が好きみたいです。
西方山から次の目的地への移動中、宝ラーメンというラーメン店で昼食をとりました。ご当地の徳島ラーメンを食べたかったのでそれを頼んだのですが、チャーシューが豚のバラ肉になっていて、スープも独特な感じがして美味しかったです。初めての味との遭遇だったことから、 “ 独特 ” という表現しか使えなくて悔しいところです。
3枚目は旅行後に撮ったもので、徳島ラーメンを食べた後に寄った阿波公方・民俗資料館でゲットしたものです。他に来館者はいなくて、職員の方がわざわざストーブを付けてくださったりビデオを流してくださいました。黄色いステッカーは、阿波公方が実際に使っていた “ 蝮除け ” をプリントしたもので、個人的にはこの蝮除けを頂けたのが一番嬉しかった思い出かもしれません。(*^0^*)♪
そもそも阿波公方(あわくぼう)とは、阿波に移り住んできた足利将軍家の一族のことです。現在放送中の「麒麟がくる」でも登場しましたが、阿波公方初代の足利義冬の子の義栄(よしひで)は第14代室町幕府将軍になっています。三好氏や長宗我部氏に守られながら阿波公方は江戸時代にも残りますが、阿波藩への処遇に対する不満などから最終的に京都へ帰ってしまい、270年の阿波公方の歴史は終了しました。・・・滅ぼされるわけでもなく、不満が溜まって土地を去り歴史が終わるというのはなんともあっさりとした、余計に悲しい感じがしました。
4枚目は、26日の宿である阿南のホテルに着いてから撮ったものです。ステッカーは先ほどの蝮除けステッカー。夕飯は、ホテルの近くにあるJR阿南駅の西側にあった居酒屋でとりました。お刺身の盛り合わせとお寿司、フグの唐揚げ等を頼みました。お刺身が特に美味しかったです。(^^) そして居酒屋からホテルへ戻る途中、森行朝日堂というお菓子店が気になったので寄り、ケーキを3つ買いました。ほんとどれも美味しかったなぁ。(^^*)
3日目 ~徳島と高知をアクティブに~
旅行3日目の12/27は朝一でホテルの朝食をとり、徳島で巡りたかった他の史跡へ向け出発し、そして高知県を目指すこととなりました。
5枚目の写真は日和佐城。これを撮ったのは、天守だけがぽつりと立っていて、しかもガラス張りの部分が不自然だったから。父曰く、「お城=天守があるもの」という勘違いで近代に再建?されてしまった天守も全国的には少なくないそうです。日和佐城もそういうことなのかは分かりません。近くにテニスコートがあったのが印象的でした。
そして徳島県で最後に寄ったのが、海部城(かいぶじょう)。景色が良かったです。相変わらず飛蚊症が酷くて空や海は直視出来なかったですけどね...はぁぁ。
山城の海部城を登っていて気になったのは土壌。ふかふかのくぬぎマットみたいでカブトムシやクワガタの幼虫がたくさんいるんだろうなと思いました。上の写真は、クワガタがいそうだなと思って撮った朽ち木です。(笑)
さて、続きましては高知県に入り、高知県の地図の形でいうと右下の出っ張っている部分にあたる室戸岬(むろとみさき)を訪れました。史跡ではないけれど、父が展望台からの景色を見たいということで山登りをしました。 残念ながら崖崩れ?の影響からか山頂に着いても展望台には近付けなくて、代わりにすぐそばにあった最御崎寺(ほつみさきじ)に寄りました。四国八十八箇所霊場のうちの一つ。当たり前と言えば当たり前ですけど、四国ではお遍路さんを何度か見かけました。(^^)
ところ変わって上の2枚の写真は、安芸城(あきじょう)から撮った景色です。今回の旅行で登ってきた山城に比べれば、あまり高さのないお城だったと思います。麓にあった歴史民俗資料館にも寄りました。ちなみに「安芸」という地名について、広島にもあったなと思い出し調べたところ、「広島の安芸」と「高知の安芸」は無関係だそうです。
これは安芸城の石垣。一旦山を下りてからこの石垣を撮ったのですが、その最中にご親切にも地元住民?のおじさんが話掛けてきてくださいました。石垣の情報や、昔このお城を治めていた安芸氏の歴史などについて。またおじさんは、タレントの松村邦洋さんと懇意にされているとのこと。
安芸城の次は、南国市にある岡豊城(おこうじょう)へ。これまで巡ってきたお城では、父が「このお城は長宗我部に攻められて~」ということを度々口にしていて、その長宗我部氏の本拠地がこの岡豊城なのだそう。
時間がなかったので傍にあった民俗資料館には寄れませんでしたが、長宗我部元親の像は撮りました。戦国ゲームの影響なのか、顔が男前過ぎてちょっと違和感を抱きました。ジュノンボーイ的?
四国旅行3日目の最後に寄ったのが、土佐市の蓮池城になります。公園になっていて、園内に設置されていたトーテムポールを見た父は「せっかくの史跡なのに趣味が悪い」と嘆いていました。(笑) 上の写真は頂上からの景色です。たしか中村街道だったかな?たくさんの車のライトが美しい夜景を演出していました。信号は連携していて、赤信号になると車も全部ブレーキランプを踏むので赤色に染まり輝く街道も美しかったです。
日没後は、この日の宿である高知駅付近のホテルへ。夕飯を食べに高知駅へ徒歩で向かったところ、駅に飲食店が全然なくてびっくりしました。上の写真は、駅前にあった坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太(武市瑞山)の銅像です。
高知駅内にあった案内パネルにて付近の飲食店の情報を調べてみて、行ってみたい居酒屋が見つかったので路面電車で移動してみました。大黒堂というお店で、そこで本場のカツオのたたきを食べてみました。上の写真がそうですが、こんなに分厚くて美味しいカツオのたたきは初めてでした。(^^*) にんにくの擦りおろしではなくスライスが出てきたことにも驚きましたね。炒飯も美味しかったですし、「ごり」という小さな川魚の唐揚げも良かったです。
居酒屋でのお会計時にホテルでもらったGoToのクーポン券を使おうと考えていたものの、残念ながらそこのお店では使えないことが分かりました。本当は入店前に確認するべきでした。(汗) 地域限定のクーポン券4000円分の使用は明日へと持ち越しに。
4日目 ~高松から岡山、そしてドタバタ~
そして私にとって最終日4日目の12月28日。この日も朝一でホテルの朝食をとってすぐ出立する予定・・・でしたが、前日があまりにハードな山登りスケジュールだったので私も父も寝坊してしまいました。ホテルの朝食のバイキングではカツオのたたきが出てきたので、せっかくということでそればっかり食べました。昨日の居酒屋の味を思い出しながら。(笑)
最初に向かったのは桂浜です。7年前に家族旅行で四国に来たことがあって、その時にも寄った場所です。ただ、目当ては桂浜の海岸ではなく城址の浦戸城(うらどじょう)で、父曰く7年前は存在に気付かず目の前を素通りしてしまったのだそう。ちょうど浦戸城のすぐそばにホテルがあったので、そのホテルの売店で使い道に困ったGoToのクーポン券を全て使いました。買ったのはほぼお菓子でした。
高知県ではまだまだ見ていない史跡があったものの、この日は飛行機でやってくる弟と高松で合流する予定があったので、桂浜を発つとすぐ香川県へ向かいました。実は、今回の父の四国旅行は12月30日まででして、28日に私と弟が運転要員としてのバトンタッチをする手筈になっていたのです。私は、この日12月28日に新幹線経由で神奈川県へ帰宅する予定でした。
高松駅で弟を拾って3人で向かったのは、屋嶋城(やしまのき)。古代山城でして、とにかくデカくて高い。車でくねくね道を登って頂上に行きました。広範囲&遠くに見渡せ過ぎて、かえって風景として印象があまり残らない感じ。ちなみに、この日は比較的に飛蚊症が落ち着ていたような感覚でした。(^^)
上の写真は屋嶋城の石垣です。そもそも何故この山城が築かれたのかといえば、新羅や唐の侵攻を想定してのこと。 ※ 昨年末2020年8月に広島行脚をした際に寄った鬼の城(きのじょう)と同じだったんですね。当時の人々がどれだけ危機感を持っていたのかが改めて伝わってくる感じがします。
屋嶋城には、屋島寺(やしまじ)という八十八箇所霊場の一つとなっているお寺もありました。お遍路さんはこんな高い山にまで来なければいけないのかと思うと、本当に大変だなと思います。
屋嶋城を降りた後は高松駅方面へ戻り、お店の名前は失念しましたがうどん屋さんで昼食をとりました。頼んだ鶏南蛮うどんは美味しかったです。その後は弟に父を託して、私は高松駅からJRのマリンライナーに乗って瀬戸大橋を渡り岡山へ向かいました。1時間弱で本州に戻れましたね。
岡山駅から新幹線に乗り換えてすぐ帰ることも出来ましたが、せっかく岡山の地に降り立ったので何も見ないで帰るのはもったいないと思い、どこかに寄ることをずっと検討していました。そして28日当日に選んだのが、牛窓(うしまど)オリーブ園。オリーブショップや絶景を一度見てみたいなということで決めました。メダカ関連のスポットは、時間的に難しいかなと思って今回は諦めました。m(_ _)m
さて岡山駅に着いてからは、同じくJRの赤穂線に乗り換えて邑久駅(おくえき)に移動して、そこから東備バスに乗って「オリーブ園入口」というバス停で降りました。この時【16時30分】で、【17時】にオリーブショップが閉まるとのことでしたが、「30分もあれば最低限見たいものは見れるかな?」と思っていました。
でも、道路の標識に沿って山登りを始めても全然オリーブ園が見えて来なくて、不安になりGPSを使って自分の位置情報を調べたところ、オリーブ園は遥か先にあることが分かりました。・・・ホームページを調べた際に見落としてしまった私が悪いのですが、最寄りのバス停である「オリーブ園入口」から “ 徒歩30分 ” の距離にオリーブ園があったのです。急にパニックに陥ったけど、このまま引き返して帰るのは交通費がもったいないと冷静に思い、早足で登山を続けることにしました。荷物をたくさん持っていたので苦行でした。(≻≺)
そして息を切らし、シャツを汗びしょ濡れにしながらオリーブ園に着いたのが【16時55分】。園内のオリーブショップに着いたのが【16時58分】でした。たった2分でも商品を見る時間があってよかったです。ただ、オリーブオイルの商品を一つ一つまともに見れる時間も心の余裕もやはりなく、かといってこのまま何も買わずに帰るのは再びもったいないなと思い、店外に並べられていたオリーブの苗木を1つ選んで購入しました。
上の2枚は、17時過ぎのオリーブ園から撮った夕焼け。1枚目は瀬戸内海側で、2枚目は内陸側。内陸側の方は太陽光パネルがずら~っと並べられていました。あと大学生と思われる4人くらいの女性グループがキャッキャキャッキャ撮影してたのも、印象的というか私と対照的。
今回の旅行で一番 “ 怖かった ” のは、牛窓オリーブ園から「オリーブ園入口」のバス停までの帰り道です。日が沈んだ山道(段差のない車道&歩道)を一人で黙々と下ったのですが、スピードを出した車に轢かれるかもしれないし、熊や猪に遭遇するかもしれない、車道を照らすライトの色が不気味、そして誰ともすれ違わない...シャツの胸ポケットには阿波公方の蝮除けステッカーを入れていたので、蝮への心配はなかったですけど。ともあれ、無事にバス停に着いて岡山駅へ戻ることが出来ました。(^^*)
上の写真は、岡山駅で買った「ひっぱりだこ飯 岡山版」という駅弁になります。先ほどオリーブ園へ徒歩で向かう件にて「荷物をたくさん持ってたので~」という記述をしましたが、高松から岡山へ着いた際にこれを買っていたのも大荷物の一因でした。(汗) 何で先に買ったのかというと、新幹線に乗る直前だと売り切れていたかもしれないから。それくらい壺やイラストが魅力的で美味しそうでした。
開封するとこのように。新幹線の中ではこれまで様々な駅弁を食べてきましたが、この壺のタイプだと持ちやすいので断トツで食べやすかったです。蛸も蛸飯ももちろんのこと、岡山版ならではのさわら(鰆)が特に美味しかったです。これまでの人生で一番美味しかったさわらかもしれません。(^0^)♪♪
今回の旅行では、受験生がテキストを携帯するのと同様に、今の私はハンドメイドに注力しているのでプラバンと色鉛筆を持っていきました。これも大荷物の一因。(笑) 新幹線の駅構内では帰省客が多めに感じられましたが、それでも車内は空いていたので遠慮なく絵描きが出来ました。
旅行4日目の12月28日は、23時台に無事帰宅することが出来ました。
旅行を終えて
今回の四国旅行はGoToトラベルキャンペーンを利用したものでしたが、全国一斉のキャンペーンの一時停止が2020年12月28日~2021年1月11日と指定され、私の宿泊分はギリギリ対象内でした。父と弟の28日&29日の宿泊分は対象外ですね。私は普段旅行をしない人間なので当てにならない感覚ですが、四国ではそれなりにGoToトラベルを利用している人はいたように思います。父の狙い通り山城や城址はどこもガラガラだったけど、宿泊施設がガラガラには見えなかったです。キャンペーンに救われている宿泊施設や飲食店は、(観光客の立場である私から見て)少なくないように感じました。
四国を初めて車で運転してみて、一番印象的だったのが黄色の点滅信号の多さ。神奈川県や東京都では滅多に見なかったので新鮮でした。あと高知県は海が綺麗だったかな。凝視はしてないけど。
この記事でご紹介していないお城もたくさんあって、中でも高知県の朝倉城は難路でした。タイヤを踏み外したら終わりというような狭い1本道の崖をくねくねと運転しましたし、父だけ車を降りて案内に沿って藪をかき分けて進んだのですが、転んで軽い怪我をして引き返しました。(汗) 山城や城址は整備の行き届いていない危険な場所もあるので、初心者にはあまりオススメは出来ません。メジャーなお城に行ったり、整備された登山道をハイキングした方が良いと思います。
上の写真2枚は、帰宅後に撮ったオリーブの苗木です。植え替えは3月からということで、しばらくこのまま外に置いておくことにしました。自家製のオリーブで料理が出来るのを楽しみに育てたいと思います。(^^*)
本日の写真
今日は、五式メダカ F1 の一部の水槽の手入れをしました。2020年の11月までは、ほぼ毎日何かしらのメダカ系統の水槽の手入れをしていたけれど、ブログの毎日更新を止めてからは私のメダカ方面での活動量も激減し、現在は大半の子達の健康状態がよく分かりません。そんな中、特に五式たちが気になったので少し様子見してみたのです。
私の飼っている五式系統だけではないと思われますが、端正な体型の個体がなかなか見つからない種類かなといった感覚です。オロチ等の進化系の黒系に対しては総じてそんな先入観があります。2枚目の個体だと、背骨はほぼ真っ直ぐだけど頭部から後ろのラインが不格好な感じがします。
本日はここまで。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!!