私にとってメダカは「ペット」なのか?(2020/3/28)

こんばんは。(くもり、稀に小雨)レモンパイです。今日は朝から「精神的に重たいこと」があり、それが解決されず物凄く体の怠い一日でした。午後からは頭痛もかなり酷くなって...メダカの棚を作る予定だったんですけど、棚作りもメダカ作業もとてもやれる気にならなかったです。

ふと「ペット」の意味を調べてみたのですが、

ペット=愛玩動物

となっていて、「愛玩」とは

愛玩=可愛がること、大切に扱うこと

という意味になります。知ってはいましたが、こうやって改めて見てみると「私にとってメダカはペットなのかな?」という疑問が浮かんできます。動物であることに疑いはないものの、果たして “ 愛玩 ” なのか。

 

※ ロンサム東天光煮干し君など、一部特別扱いをしてきた稀な個体については、ペットと言えると思います。可愛がっているからこそ名前を付けましたし、長生き出来るよう飼育環境にゆとりを与えたりしてきました。

※ 下は、ロンサム東天光の写真です。

ロンサム東天光

では、自家繁殖で親魚に選ぶ個体についてはどうかというと、個体によりますが可愛がることはあまりしません。種親としての役割があるので大切には扱いますが、近年は飼育スペースの狭さの問題により採卵完了後も大切にし続けることが困難になりました。答えとしては、半分ペットであり、半分ペットではありません。

 

最後に、自家繁殖で親魚に選ばれないその他大勢の選別外メダカについてはというと、可愛がることはまずないですし、選別内のうちは大切にしますが選別外になった途端に(忌憚なく表現するなら)ぞんざいに扱うこととなります。私の場合はザリガニ達の生き餌として扱うので、ペットとは到底言えません。

( 昔は選別外メダカを観賞していたので、そういう意味では可愛がっていたかもしれません。 )

メダカ以外に話を広げると、

ザリガニ(水まちゃん等) → ペット
金魚(もち麦ちゃん等)→ ペット
コクワガタ (黒酢くん等)→ ペット
観察中のアゲハの蛹 → ペットではない
拾ってきたカマキリの卵 → ペットではない

となります。昨日のブログでは「マメルリハ記事」の初回を投稿したところですが、インコは100%ペットです。誰よりもペットらしいペットです。逆にここでペットではないと言うと、物凄く危ない人間に見られると思います。(汗)

 

「アゲハチョウの蛹」がペットでないのは、そこら辺に自然発生して一生を終えるアゲハと比較すれば、私が成長を見守って越冬シーズンもちゃんと無事に過ごせるよう倉庫にしまった点では、可愛がっているとも大切にしているとも傍からは見えなくないです。でも、私が蛹を持っているのは後々に観察の過程を記事にする為だけであって、このメダカブログを持っていなかったらまず “ 抱えて ” いないです。自宅の生き物全般をペットと一括りにすることはあっても、冷静にアゲハの蛹はペットではない。

 

カマキリの卵も、当初は将来に飼うことになるかもしれないヤモリの餌用にとっておいたものなので、こちらもペットではありません。

・・・「だから何なんだ」という話をしてきました。(汗) 今日の私は体調が物凄く悪いので、そのせいで変なお話をしてしまったことにしてください。 m(_ _)m

 

本日の写真

煮干し君 ①

元気のない時は、見るだけでほんの少し明るい気持ちにさせてくれるこの子が頼りになります。(^^) 今の私にとってアイドルである煮干し君になります。【頭光】表現は更に発達し、写真では分かりにくいですが背びれ付け根の【背中光】表現も若干伸びています。

煮干し君 ②

この子からは「とにかく生きるんだ!」という強いメッセージが発せられているように、私は勝手に感じ取っています。泳ぎの能力に難はあるものの、ズバ抜けた背曲がりだからこその “ 曲線美 ” が良いなぁと。(♪^0^♪)

 

本日はここまで。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!!