【マメルリハ】マメちゃんの最期の記録を残しておく(2021/12/30)

こんばんは。(晴れ)レモンパイです。年の最後の日を “ 大晦日(おおみそか) ” と呼ぶことは多くの方が知っていると思いますが、その前日にあたる本日12月30日は “小晦日(こつごもり) ” と呼ぶそうです。 大晦日のことは “ おおつごもり ” とも読めるのだそう・・・ということを、この記事を書く中で知りました。ブロガーやってると語彙が増えますね。(^^*)

この記事が、2021年での最後の投稿ということになります。振り返ると、積極的&前向きに行動することの出来た物凄く有意義な1年になりました。詳細までは書けませんが長年の自分の殻をようやく破ることが出来ましたし、足踏みすることによるストレスを溜めることがなかったはずです。自分自身をより認められるようになり、将来への希望も少し持てるようになったことが幸せなことだなと思いますね。

 

来年もマイペースを崩さず、でも片足は常にアクセルに乗せた状態で生きられたら素敵ですね。

 

マメちゃんの最期の記録です

それでは、本題に入ります。「マメルリハ記事」の投稿です。2021年は6羽のマメルリハインコを飼っていて、その中でも最高齢?のマメちゃんという女の子については体調を崩す機会が多くなりました。 ※1 腹水が溜まって病院へ連れて行ったこともお話しましたが、先日にとうとう三途の川を渡ってしまいました。

私は広告収入目的で始めたブロガーなので、ネタは何でも記事にする人間です。マメちゃんの記録について詳細に書くのにはそういう現実的な動機もありますが、それとは別にマメちゃんの最期を忘れたくないという強い思いも今回の投稿に込めました。どんなに大切に飼って思い出がいっぱいあっても、人間忘れていってしまうものなので。

 

「1度目の奇跡」からの日々について

数年前のマメちゃん

改めまして、こちらが5~6歳時のマメちゃんになります。この写真は ※2 旦那さんと死別した直後に撮影したものです。晩年に比べると、顔付きも毛並みも全然違うように見えます。パートナーに先立たれたのは不孝でしたが、元々人間が苦手だった彼女は単独飼いになってから徐々に私との心の距離を詰めてくれるようになり、良い信頼関係を築けるようになったと思います。

※2 旦那さんのチョコちゃんは夫婦喧嘩の末にショック死してしまったわけですが、当時はマメちゃんの方が追い詰められていたように私は思っていたので、この当時のマメも危険な状態だったはずです。(汗)

在りし日のマメちゃん ①

こちらは、2021年12月16日のマメちゃん。腹水の危機から復活(=晩年の1度目の奇跡)して小康状態になっていた時期にあたります。瞼の下がっている様子を見ると具合が悪そうですが本当に悪い時でして、12月中旬は6~12の時間の単位で容体のコロコロ変わる日々が続いていました。だいたい朝方は食欲が無くじっとしていることが多かったですね。でも全く食べれない日というのもなくて、調子の良い日はペレットだけを食べていたことも。体重は 28g~31g台の間を推移していました。

在りし日のマメちゃん ②

12月17日。マメちゃんは、今まで飼ってきたマメルリハ達の中でも最も「私の肩の上」を気に入ってくれる子でした。パソコン作業をする際なんかは、肩から何もせず見守ってくれていたことも。(^^*) 腹水で体調を崩してからは、寒くならないようにこうやって地肌に乗せて温めていました...。

在りし日のマメちゃん ③

12月19日。お尻の部分がこんな感じで少し膨らんでいるので、腹水はずっとあり続けたのだと思います。ただこの日の体重は 31g 台と良い感じでしたし、翌20日は今まで食べなかったハリソンのペレットを久々に与えたらモリモリ食べもしていたので、もっと長生きしてくれるのではと期待していました・・・ところが、この写真から2日後の12月21日に容体が急変することに。

 

“ 決壊 ” の日

在りし日のマメちゃん ④

前触れはありませんでした。12月21日の朝、いつものようにマメちゃんを起こしに行ったらケージ内は暖かいのに膨らんで辛そうな姿をしていました。最近の「朝の体調が悪い」というレベルを超えて更に酷い感じ。そして 今までの姿と “ 決定的に違ったこと ” が、どんなに体調を崩しても辛うじて突くことの出来ていた「粟の穂」や「小松菜」を、ほとんど食べられなくなったこと。水を飲むことも拒否するようになり、坂道を転げ落ちるようにマメちゃんの体の中で何かが “ 決壊 ” したんだなと思いました。

在りし日のマメちゃん ⑤

21日夜の写真です。夕方からはもう足で自立するのも辛そうだったので、タオルに包んだ状態で抱っこしたりしていました。目を開けるのも難しく、大きな物音がした瞬間だけ目を開ける感じに。普段はマメちゃんに対して闘志メラメラのレモンちゃんも、どこか心配そうに見ていました...。

在りし日のマメちゃん ⑥

在りし日のマメちゃん ⑦

もう本当の本当のお別れだと思い、いろんな写真を撮っていました。翌日は用事で朝5時半には出掛けないといかず早寝する必要があったので、後ろ髪を引かれる思いでマメちゃんをタオルに包んだままケージに戻しました。本当は、自分の手の中で看取りたかったなぁと思っていました...。

 

“ 2度目の奇跡 ” の起こった日

決壊の日の翌日の12月22日。朝の4時頃、こと切れたマメちゃんを安置しなければと思いケージを覗きに行くと、何と虫の息ではあったものの生きているマメちゃんの姿がありました!

在りし日のマメちゃん ⑧

・・・「あり得ない」と思いました。だって、昨日から水はほとんど摂取出来ず、ご飯も粟玉数粒くらいしか食べれていなかったからです。

在りし日のマメちゃん ⑨

マメちゃんを抱っこしたら鼻にツンと来る臭いがしたので、調べてみるとマメちゃんを包んでいたタオルには ※3 吐しゃ物がありました。虫の息の状態で吐いたのに生きているなんて、どんだけ生命力の強い子なんだと思いました。(泣)

※3 昔飼っていたハリーちゃんという男の子の場合、私の手の中で嘔吐した直後にスーッと息を引き取った・・・という最期だったので、吐くということはもう最後の最後の状態ということなのだと認識しています。

これはマメちゃんの「少しでも長く生きたい!」という強い意思なんだと汲み取り、悩みはしましたが本人が苦しむかもしれないけど流動食を与えることに決めました。成鳥に流動食なんてやったことないし専用の商品も持っていなかったけど、普段食べていたペレットを水で溶かしたものを、点眼容器に入れて温くしてから与えました。雑菌の繁殖が怖いので、流動食は与える度に新調しました。

在りし日のマメちゃん ⑩

これは、12月22日の夕方に撮った写真です。私は帰宅後も流動食を与え続けていたら、マメちゃんは一時は自分の足で立ち上がれるまでに回復しました。絶食の翌日も生きられたこと、そして体力もほんの少し回復したことが2度目の奇跡だったなと思います。相変わらず目は開かないしいつ何があるかは分からないけど、このまま流動食を続けて粟の穂を食べれるまで回復してくれたら・・・と願っていました。

 

お別れの日

在りし日のマメちゃん ⑪

2度目の奇跡の起こった日の翌日の、2021年12月23日の午前5時30分のマメちゃん。前日より具合が悪そうで、もう流動食もほとんど食べさせられないような状態でした。この日も用事があって朝早く出掛けたのですが、結局この写真が生前最後に撮った姿となりました。

 

この日は、いつもマメルリハ達の件でお世話になっている伯母が自宅に来ていて、午前中はマメちゃんをずっと見ていてくれてました。私が帰宅したのは13時10分で、伯母によるとマメちゃんは13時5分に永眠したのでギリギリ間に合いませんでした。9時半からは辛うじて心臓の鼓動だけが続くような容体で、よく踏ん張ってくれたとのこと。

 

私自身が看取れなかったのは少し残念でしたが、まだ体温のあるマメちゃんに触れられたことは嬉しかったです。マメちゃんお疲れ様でした。(^^)

 

マメちゃんの葬送について

ペットの葬送についてはご家庭ごとに考え方や宗教があるものと思いますが、うちではいつも同じ動物霊園にて火葬&埋葬(←合同葬)してもらうことに決めています。今まで飼ってきたマメルリハのうち、兄が逃がしてしまった子を除く9羽が眠っている場所です。マメちゃんの死んだ12月23日のうちに動物霊園へ電話をして、翌24日に引き渡しをする旨の予約を取りました。

マメちゃんの葬送 ①

動物霊園のスタッフさんに預けるにあたり、遺体をそのまま手渡しするわけではないのでまず空箱を用意しました。私の場合、空箱に生前その子が好きだったご飯をたくさん敷き詰めるようにしています。お空の上でもたくさん食べられますようにと。

マメちゃんの葬送 ②

そして中央にティッシュ等を置いてその上にマメちゃんを移したら、買ってきた花びらを周囲に詰めて「インコ版の棺桶」が完成です。蓋をした状態で、スタッフさんにお渡しすることに。

マメちゃんの葬送 ③

動物霊園へ出掛ける直前、レモンちゃんを含めた生きてる5羽と個別にお別れ会をしました。11年来のライバルを失ったレモンちゃんが元気消失しないか心配でしたが、この記事を書いている現在(12/30)だとその心配はなさそうなので安心しました。マメちゃんは12歳弱という年齢まで長生きしたけど、レモンちゃんにはもっともっと長生きしてもらえたら幸せです。

マメちゃんの葬送 ④

後日、動物霊園からお手紙が届きました。マメちゃんはクリスマスの日に火葬していただいたそうです。今後は動物霊園に寄った際には、供養塔の前で先に天国へ行った子達に加えてマメちゃんのことも想い続けることになりますね。

 

最後に

インコが病気になったら動物病院へ連れていくのが一般的な対応だと思いますが、高齢の子の場合だと “ 飼い主が最期を選ぶこと ” も少なくないのかなと思います。マメちゃんについては、腹水が酷かった頃に先生に「1日でも長生きさせるというより、出来るだけ苦しませない方向で逝かせたい」と相談していたので、12月21日に容体が急降下しても病院へは連れていきませんでした。

 

でも、12月22日のマメちゃんを見ていたら「苦しいけど少しでも生きたい!」という彼女の強い意思が私には感じられたので、結局は最後の最後に自己判断で流動食を試すことを決断しました。何が正解とか不正解という問題でもないように思います。半分以上自己満な内容の記事になったと思いますが、何かインコや他のペットを飼う方々にとって少しでもご参考になれる情報があったら幸いです。m(_ _)m

 

本日の写真

楊貴妃メラーメダカ F1 ①

楊貴妃メラーメダカ F1 ②

2021年最後に撮影したメダカは、楊貴妃メラーメダカ F1 になりました。現在自宅でメラー(=軟条間のヒレの欠損特徴)表現なのはこの子だけですね。口が開いたままで閉じなくなってしまった個体でもあります。体調は良さそう。(^^)

 

この記事の冒頭で「物凄く有意義な1年になった」と書きましたが、メダカ方面に関しては相変わらずモチベーションが戻らず完全に飽きてしまっています。(汗) シンプルにメダカ飼育から卒業する選択肢も考えたりするけれど、たとえ飽きたとしても何か一つくらい向いていることは続けた方が長い目で見るといいのかなとも思ったりして、その存在が私にとっての “ メダカ ” でいいんじゃないかなというのが、今のスタンスです。元々飽き性なので、多分何やってもいずれは飽きるんだとは思います。(笑)

 

本日はここまで。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!!