こんばんは。(晴れ)レモンパイです。今日の午前中は、 “ 不要不急 ” ではなく “ 要・急 ” の目的があって外出してました。駅のホームも電車の中も人が少ないですし、車内では仲間との会話を抑えているような印象も受けます。今夜は、初めてサーモンのあらの味噌煮を作ってみました。スーパーで珍しい食材があると、料理してみたくなってついつい買ってしまいます。(笑)
今回は何をお話しようかなとぼーっと考えて、タイトルにあることを書こうかなと思いました。生き物を飼育している人に対する偏見についてです。私自身は全く同意しないことですが、「(メダカ含め)生き物を飼っている人に悪い人はいないんじゃないか?」といったイメージを持たれている方が、どのくらいの割合かは知らないもののいらっしゃるようなので、それについてもの申したいなと。
生き物の飼育は、人間にとって趣味の内の一つに過ぎません。娯楽の内の一つに過ぎません。生業の内の一つに過ぎません。誰か個人の生活の一部でしかありません。
生き物を飼っているからといって、なぜその人の本質が透けて見えるのかが理解出来ません。もちろん、統計を取ればパーソナリティ傾向は見えてくるはずですが、それでも見えてくる傾向は一部の人にしか当てはまりません。
仮に、生き物を飼う人の全般に「優しい」「思い遣りがある」といったパーソナリティの傾向があるとします。そうだとしても、メダカ飼育者に限った場合は「生命の軽視」といった傾向があるように私は考えています。
「生命の軽視」が具体的に何から連想されるのかというと、メダカの選別です。私のように、理想とするメダカや想像を超えたメダカの作出を目指すには、たくさんのメダカを育てなくてはいけなくて、でもその中で次世代の親魚候補に選ばれるのはごく一部になるので、それ以外の大多数メダカは選別外になります。そんな選別外のメダカを、ぞんざいに扱う飼育者は残念ながら少なくないように思うのです。誰とは言いませんが、特に飼育(養魚)の規模が大きければ大きいほどに。
私だって「生命の軽視」をしてしまっている一人でもあります。本当にメダカを愛しているのであれば、選別なんてしないで済むような小規模で、新種作出など目指さずメダカを飼い続けているはずですから。
また、メダカ飼育の場合はそこそこメジャーな趣味なので、どうしてもいろんな人がメダカ飼育に手を出します。パイ(飼育者の規模)が大きくなれば、それだけ「おかしな人」もパイの中に混じるようになるわけです。その僅かな「おかしな人」が何か問題を起こしたからといって、「メダカ飼育者には変な人が多い!」というイメージを持つのはどうかなと思います...まぁ変に “ 良い人群 ” に見られるのも気が重たいので、メダカ飼育へのイメージ悪いなら悪いでいいかなとも思いますけどね。
本日の写真
まず、2枚の写真を載せてみます!
白メダカと、白光メダカとして売られていてもおかしくない見た目ですね。彼らは、自宅でネオ・オカメメダカと呼んでいる個体になります。オリジナルの「オカメ」系統に、ピュアホワイト光と青光ダルマの血を混ぜて作出しました。
そもそもオリジナル系統の「オカメ」とは、3枚目の個体のように【頬透明鱗】の特徴を持つ白系メダカでした。体型不良(特に背曲がり)を改善したくて、異種交配を経て現在のネオ・オカメの姿になったわけです。ネオ・オカメの今年の繁殖計画において、【頬透明鱗】は大切な選別基準にしますね。
本日はここまで。
当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!!